昔話と
ストーリーテリング・語り聞かせ

昔話について


昔は、絵本もテレビもありませんでした。大人たちは 子どもに伝えたいことを、子どもが楽しんで聞く「おはなし」の形にして語って聞かせました。おじいさん・おばあさんが孫に、親が子に語り、それを聞いて育った子どもが 親になって子に語り…と、声で語られ耳で聴くかたちで連綿と受け継がれてきました。今でいう ストーリーテリング(語り聞かせ)です。

昔話には明らかな「作者」がいるわけではありません。先人たちが 生きていく中で感じていたこと、大切に思っていたこと、信じていたこと等を 動物が主人公だったり、魔女が出てきたりという架空のお話の形を借りて語り継いできたお話です。

面白いことに、違う国にもかかわらず 似たお話がみられることが よくあります。これは、国境を越えて伝えられた場合も多くありますが、国が違っていても 人は 同じようなことを喜び、悲しみ、望み、怖れるものなので、同じようなお話になって残ったのではないでしょうか。
そして、それは 国だけではなく 時代が変わっても 同じことが言えると思います。昔の人たちの思いは、現代のわたしたちにも通じるものがあります。

そのように考えると、昔話は、人として生きる上で普遍的なことが、 先人たちからのメッセージとして込められている 大切なものに思えてきます。

味方は必ずいる

昔話では、主人公が困難な状況に直面した時、知恵を授けてくれる不思議なおばあさんや、力を貸してくれる小人や、恩返しをしてくれる動物など、主人公を助けてくれる援助者が よく登場します。

子どもたちは、現実には存在しない不思議なものの登場を、驚くほど素直に受け入れます。そして、登場するタイミングも ここぞという丁度良い時なのですが、「あー よかった!」とホッとこそすれ、大人のように「そんなに都合よく現れるわけないよ」などとは思いません。これは、ファンタジーをそのまま受け入れられる 子どもの特性でしょうか。

お話の中の出来事とはいえ、「どうしようもなく困った時でも、きっと味方になってくれる人はいる」という感覚が 子どもの中に生まれてくれたら嬉しく思います。そして、その感覚を持って これから先の人生を進んでいくことが出来たら、困難な局面に独りで押しつぶされそうな時でも 味方の存在を信じて切り抜けられるのではないかと。そう願って昔話を語っています。

そして、お話を聞いている時に 小人や妖精などの存在を受け入れる感性は、目に見えないものを信じる気持ちに繋がっていくのではないかと思います。「実際に見えているものだけが全てではない 」という感覚が、柔軟で豊かな発想を育くんでいってくれると良いなと思います。

勧善懲悪

昔話には、「誠実な人 と ズルい人」や「正直者 と 嘘つき」「優しい娘 と 意地悪な娘」「働き者 と 怠け者」など、極端に対照的な人物が登場します。そして、必ず良い人は幸せになり そうでない人は不幸になるという 勧善懲悪の結末で終わります。

「体が親指くらい小さな人」や「いつも馬鹿にされている人」「いつも虐げられている人」など不遇な人物が、知恵と勇気で困難を乗り越えたり、正直で優しい気持ちで幸せになったりするお話も多くあります。
また、愛する人を救おうと 過酷な試練を乗り越えて 幸せをつかむお話も たくさんあります。

子どもたちは、ストーリーテリングのお話を聞くとき、主人公に気持ちを重ね合わせながら物語の中を進んでいます。耳から聞こえてくる言葉だけを手掛かりに、自分の頭の中でお話の場面を描きながら聞いているので、より深く感情移入しています。

その子どもたちが、「正直で誠実に生きていくと幸せになる」「恵まれていなくても ちっぽけな存在でも、真面目に一生懸命生きていれば報われる」「無償の愛は強さに繋がる」と、誠実さと愛情が尊いことを 心で感じてくれるといいなと思います。
そして、物語を通して 人生を肯定する気持ちが育まれ、「この世は生きるに値する」と 生きる勇気を持って歩んでいってくれることを願っています。

昔話は残酷か

確かに、昔話に出てくる悪者は、よく「井戸に落ちて死んでしまいました」や「かまどの中で焼け死んでしまいました」という最期を迎えます。しかし、ストーリーテリングのお話の中で その場面を詳細に描写したり グロテスクな絵を想像させるような表現をすることは 決してありません。ただシンプルに「死にました」と語っているだけです。

主人公を苦しめた悪者が死ぬと、子どもたちは安心します。もう主人公が嫌な目に合わなくて済むからです。ここで言う「死ぬ」ということは、現実世界でいう「命を落とす」という悲しみを伴った事実とは 性質を異にします。「主人公を苦しめた悪者は いなくなりました」という めでたしめでたし の結末ではないでしょうか。

その他に「小指を切り落とす」や「舌を切ってしまった」などの場面も出てきますが、いずれもリアルな描写はしていません。ただ単に、その事実を伝えているだけです。

現代の映像コンテンツの中には、もがきながら死んでいく様子や 血が噴き出る衝撃的な場面を見せたりするものも たまにありますが、それらについては そのままにしておき、昔話だけが殊更に「実は残酷だ」と言われることには疑問を感じます。

昔話は、長年 語り継がれる間に 重要でない部分は削ぎ落とされ、必要最小限の芯である言葉やメッセージだけが残っている姿だと思います。それを、とりあえず耳触りの良い言葉に置き換えて伝えることは、本当に良いことなのかどうか…と考えさせられます。

残酷といえば言えなくもない 細かい部分に注目するのではなく、もっとお話全体を見て、肝心のメッセージに目を向けると 大切なものが見えてくると思います。

大切なメッセージを
ユーモアに包んで

大人が子どもに伝えたいメッセージを、昔話は 上手にユーモアに包んで伝えてくれます。どこか滑稽だったり クスリと笑えたりする出来事の中に、人として大切にしたいことのエッセンスが含まれています。

大人が 正面切って言い聞かせたり お説教したりするよりも、子どもは 笑いながら すんなりと受け入れてくれます。ストーリーテリングのお話を聞くことによって、お話の中の出来事を 子ども自身の心の経験として蓄積していくことが出来れば、そのメッセージを 内なる感覚として能動的に捉えられるのではないでしょうか。

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